小説風日記②フィールドトリップ編
2泊3日のフィールドトリップが始まる。首都隊員にとってはちょっとしたバカンス、地方隊員にとっては大事な生活の下見だ。目下地方隊員の私は2人の協力隊が活動しているディキルとこれから住むアルタに行ってきた。
ドミトリーを8時に出発してバスを乗り継ぎディキルに到着したのは13時。普通は4列で座るバスに無理やり5人座って4時間。風と砂ぼこりを防ぐためヒジャブをしっかり巻いて乗り込んだ。ひたすら火星のような砂と岩しかない道を進んでゆくと第三都市ディキルだ。
ディキルは犬とヤギが多い、特にホテル周辺多数。風が強くまたエチオピア往復のトラックからの土埃がすごい。しかしながら、ジブチ市内人よりも人懐っこい印象。ディキル両隊員と歩いているといろんなところから声がかかり、家にお邪魔したり、挨拶したりしながらエチオピア料理屋さんへ。大きなガレットに具材を乗せた料理を手で食べる、美味しかった。ディキル隊員のお宅にもお邪魔し、私もこうやって生活していくのだという実感がひしひしと湧いてくる。
2日目はたくさんの犬の遠吠えから始まる。La Paimeraieは朝食付きでバゲットとオムレツ。学校隊員と合流して活動先の小学校へ。1年生の算数の授業にお邪魔させてもらい見学。数字の456を書く授業で出来る子と出来ない子の差が大きい。でも出来なくたって関係ない!みんな積極的に手を挙げて授業に参加しいてる。印象的だったのは、1年生の教室に中学生くらいの男の子が。今まで学校に通えていなかった子が通えるようになると年齢関係なく1年生から通い始めるそうだ。日本だったら萎縮してしまいそうな状況でもその男の子は積極的に手を挙げて発言してました。ジブチ人の多言語習得文化はこの積極性にあるのでは?と私も見習いたい一心だ。次は保健隊員の活動先の病院を見学に。とても広い病院で産婦人科病棟、入院病棟、結核病棟、、、などなど。ほとんど全ての病棟を見せてもらった。病院食を作っているところまで。こちらで印象的だったのは婦人科病棟に入院している患者さんの若いこと。高校生の年齢で出産しているのはもはや当たり前である。聞くところ、中学生で同じクラスの子が結婚して学校を辞めたよ、と。せっかく学校に通える環境がありながら子供の意思は関係なく、子供はもう夫人そして母となる。この子たちは日本でいえばJC、JKだ。そしてディキル隊員ともに感じたのは地域との繋がりだ。地方隊員に必要不可欠なこの特殊スキル。ジブチ市内との違いは活動先だけではなく街全体との繋がりという点。街を歩いているとエンカウントの多いこと。ディキル隊員の真髄を見た。そしてこのフィールドトリップで1番よかったこと。とてもおいしいジブチ料理を食べた。ディキルの道端にあったご飯屋さん。ジブチ人のお母さんが家で作ったのを道端で用意してくれるのだろう。衛生環境は最悪だが私はお腹はまだ本格的に壊したことはない、信じよう。米とマカロニ(パスタ?)の上にソースを二種類くらいドーン。ビーツとキャベツをのせて。混ぜながら手で食べる。首都ではみんな避けて通るレストランであろうここが私にとってはジブチにきて初めておいしい!!と思ったレストランであった。これはディキルに通おう。そしてアルタでも見つけよう。仲良くなったら作り方を教えてもらおう。長くなっているがまだこの時点でディキルを出てはいない。今からバスに乗ってヒッチハイクをするのだ。結論を言うとヒッチハイクは無事成功して(だいぶ歩いた)アルタ本日のお宿Sunny Hill Centerに到着した。初代アルタ隊員の方が築いた大事な人脈であるアルタのパパ、ジャンさんのお宅にもお邪魔させてもらい(ジャンさん不在)夫人のマコさんとたくさんお話することができた。ちなみに場所はわからずそこら辺のアルタ人に連れて行ってもらった。
3日目は残念なお知らせから始まる。Sunny Hill Centerには朝食はついていない。朝食の値段1000DJF、高い。諦めて昨日誘われていたジャンさんのお宅でみんなで朝ご飯。だいぶ喋って街を見に行くというとマコさんが案内をしてくれるとのこと。アルタの街は小さい。ディキルよりももちろんジブチよりも。しかしながら生活はできるだろう。ここはレストラン、ここはパン屋、ここは同僚の先生のお店。などなど。家から長距離バス乗り場、中心街は近い。印象的だったのはひとりで歩いているときに子供たちから直接的にargent!argent!(金!金!)と言われる。アルタにくる外国人はお金を持っていると思っているのだろう。それもそのはず、君たちは間違っていない。Sunny Hill Centerに泊まっている、レストランを利用しているのは白人系外国人ばかりで、ジブチ人だったとしても身なりがきれいだ。Sunny Hill Center設備もきれいでご飯もおいしくジブチ市内より安い。そしてオーナー(?)スーツを着た男性スタッフと話すこともできた、日本人がこれからアルタに来ることは知っていたよう。好意的な印象。私もこれから手伝うであろうこのホテル、普通に一緒に働いてシフトに入って楽しみながら、そしたらみえてくるのもはラフで面白い。そんなもんだろう。そんなこんなで16時頃にしかバスは出発しないよ、とな。無事バスに乗り地方へのバスターミナルPK12から街中のバスターミナル、プラスランボーにつきいつも通のバスそしてドミトリーについた。全体的な感想をもう一言でまとめてしまうと、「地方都市、気に入った!!」それだけである。
うるう年の2月も終わりだね。
Bonjour!!
アルタに赴任して早1か月が過ぎました。
最近は街を歩いててもいろんな人からティカティカと呼ばれるようになりました。
ワタシの名前はchikaですがフランス語圏の人にはチという発音が難しくいつもtikaと呼ばれます、正直どっちでもいいです
小さい商店で買い物をしていたら「キミはアジア人じゃなくてもうジブチ人だね」って言われました。
先週はこの小さいアルタにジブチ大統領が来て活動先の学校が受け入れ会場になってバタバタの日がありました。
けどいつもは関係者を相手にサービスしている学生たちも本当のお客さんに(それも大統領付近のお偉いさんばかり)緊張しまくりだし、調理科の子たちもいつもは先生と生徒で実習をしているのが今回は近くのホテルのレストランの従業員の方々もお手伝いに来てくれて、ちょっぴりドギマギ。まあ小さな町だからみんなほぼ知り合いなんだけど。
そんなこんなでこれまたカオスな調理場と化してました。
びっくりしたのが軍隊の人たちや警備員の人が調理場まで入ってきて、できた料理をどんどん食べちゃうんです。でもOKらしい。日本じゃありえないよね、文化の違いとしてワタシも自分の仕事が落ち着いた後はみんなでもぐもぐしました。
けど先生生徒とみんなで100人のコース(スープ・サラダ・メイン・デザート)という大仕事でバタバタした時間もあったけど大統領演説中とか待ち時間もそこそこあったのでみんなといろんな話をして、この1日でみんなととっても仲良くなれていい1日でした。
けど仲良くなったのはいいものの毎日のように誰かしらワタシの家に遊びに来るのは大変です。ある子はベニエ(ジブチの揚げパン的な)を届けに、ある子は掃除をすると(丁重にお断りしました)次はアラビア語の教科書を届けに、、、ワタシの家ほんとにアルタのど真ん中でいつでもにぎやかです。
そして週末の金曜日にはお祈りをしにモスクに行きました。
この小さなアルタで2年間生活していくなら絶対に一度はしようと思ってたことが予想以上のはやさでクリアしました。
お祈りの仕方を教えてもらって、実際にお祈りの時間見よう見まねでやってみて最後の法話まで聞けました。まあアラビア語はほぼノータッチなので何言ってるかは全くわからんかったけど。
ムスリムになりたいの?って聞かれたけど、まだわからないけどジブチにいる間はみんなと同じ生活をしたいと言いました。もちろん本心。ムスリムなめんな。って怒られるかなと思ったらすごく喜んでくれて、友達がアラビア語のレッスンをしてくれることになりました。
週2でフランス語、月1(仮)でアラビア語、、、いやはや脳みそパンクしないかな。
そんなこんなで明日からはまた新しい1週間。
今週はなにが起こるかな、、、
Á bientôt
2020/03/01
2/22 最近思ったこと
Bonjour!!
今回少し間が空いてしまいましたが、私は元気です。
最近は主食のパンを焼くのが日課です。
いまはバカンスも終盤に差し掛かっていますが、1週間のバカンス。ワタシはアルタから首都ジブチへ遠征をしておりました。ジブチ大使館による天皇誕生日セレモニーに参加させていただきました。色々な経験をさせていただいて、ワタシにとってはとても大切なジブチでの出来事となりました。
そんなこんなで、バカンス前までは、調理学校内部の現状がカオスすぎてどうしたらいいんだろう、、、と正直、んーーーー。となっていました。今書いてしまうとただの愚痴になってしまいそうなので、もうちょっとまとまったらしっかり書いていきます。
今回は、ジブチにきて何かしらいろいろ大変だけど、ワタシってめっちゃ恵まれてるんじゃないか、ひとりの力でここにいるんじゃなくて、たくさんの事柄が折り重なって、いろんな人に支えられてジブチで活動しているんだ。と思い直させてくれるたくさんの出来事がありました。
自分のために忘れないようにブログに書きたいなと思ったんです。
まずひとつめ。ワタシの周りのジブチ人がとってもよくしてくれる。ということ。
ワタシの周りのジブチ人のことはまた詳しく紹介します。ちょっと雑すぎ?
ふたつめ。長くなります。
調理実習ではお菓子までやるんだけど、生菓子を作るんですね。ムースとかカスタードクリームのタルトとか。
まあクオリティは置いといて、この衛生状態で生菓子すんのか~これこの衛生状態の生菓子を知った生徒がホテルとかに就職したあとこうやって作ったものをお客さんが食べるのリスク高すぎると思ったんよね。けどまだ説明するほどの語学力もないし、根本設備として、消毒できるようなアルコールもなければ、洗い物のお水はバケツに入った溜め水。器具は錆びだらけ。こんな状態で作られた生菓子食べるの危ういよね。なのでおいしいくて作りやすい焼き菓子を紹介してみて、ジブチ人の味覚に合うなら実習に取り入れて、焼き菓子のバリエーションもいろいろあるんだよ。ってのを知ってもらおうと思い、ワタシの知ってる焼き菓子といえば京都のさらさ工房の焼き菓子!キャシーさんとぴーちゃん。そう思い、7年前くらいかな?別の店舗だけど一緒のさらさで働いていた時ちょうどキャシーさんがさらさでお菓子教室をはじめて、ワタシもお邪魔してたのでそのときのレシピ大事にもってたんですね。それを実家のお母さんに頼んで写真で撮って送ってもらいました。早速作って食べてもらうと好評!ジブチ人は正直美味しいの感覚が大きく違います。モツァレラチーズもまずい、ピクルスもダメ、ヨーグルトもあんまり。甘すぎるのは好きじゃないといいながらゲロ甘のお菓子たち。そのジブチ人もこの焼き菓子はOKかと。ホッとしました。焼き菓子ももちろん日本と同じようには作れません。牛乳は粉ミルクだし、生クリームは高すぎて試作では買えない。砂糖は粒の大きな分類よくわからんやつ。小麦粉はビニール袋に入った薄力粉か強力粉もよくわからんやつ。アフリカ仕様に試行錯誤しながら作ったので、美味しいといわれるとやっぱり嬉しい。嬉しくなって、どうしても伝えたくてキャシーさんにそれこそお菓子教室以来、連絡したら何ともあたたかいお言葉もいただけて。今までのすべての経験の中でもいろいろなことが、いろんな人の言葉や行動がワタシの武器になるのか。それを思い出すときには言ってくれた人も同時に思い浮かんで、これが支えられてるというか折り重なってるというか、、、。キャシーさんから嬉しいお返事をいただいたときに、思ったことこれがふたつめ。
ちなみにワタシが京都のさらさで働いていたときに焼菓子工房を支えていたキャシーさんとぴーちゃん。今はそれぞれ個人でお店されてます。2人がおいしい焼菓子を作っていたからワタシの自分の思う美味しい焼菓子の基準に自信が持てます。ありがとう~。
キャシーさん Kathy`s kitchen
ぴーちゃん 小麦小店
長くなってるけどみっつめ。最後です。
はじめに、ワタシは協力隊の料理隊員。けど料理人としてはまだまだ下っ端で修行中。なうです。協力隊の専門科目の実技試験と筆記試験に受かるくらいの知識と技術はあります。今までやってきたこと、教えてもらったことにはもちろん感謝の気持ちと誇りや自信はあるよ!無駄にはしてないです。けどプロフェッショナルと言えるかというとまだまだ経験は足りないです。さて、ジブチには日本人料理人はあと1人います。大使公邸の公邸料理人の村田さんです。料理業界の大先輩ですよ。最初はジブチで一番大きなショッピングモールでばったりお会いして(たぶん普通に活動だけしてたら会うのはもっと後であったであろう)ワタシはほんとに運がいいなと思ったジブチ到着1週間以内でした。確か。そんなラッキーエンカウントがあったからこそ、今回天皇誕生日の準備を手伝いたいと言い出せたのもあったのかもしれない(なくても図々しくいってた可能性あり)一年に一回のこの機会、お願いするしかないと意気込んだものはいいものの、ジブチ隊員にも3か月ルールってのがあって、基本的に赴任してから3か月はその地方から出てはいけないというもの。ワタシはまだ赴任して1か月。けど!これまたラッキーなことにこの週はバカンス中。とりあえずJICA事務所に言ってみると、黄色信号。JICAのOKがでない、、、。そこでどれだけ行きたいか、どういうことを学びに行くのか、そして活動に還元するのか。相当な熱量のワタシの熱望コメントを送り(関係者の方がccに入っていて引かれてないか心配である)調整員さんの後押しもあり前々日にやっとこさOKが出た次第であった。事細かなことは国の行事関連になるからネット上に残すことはしないほうがいいと思うので、JIMAちゃんに直接聞いてね。なので残したいのは内容とは別で、ワタシの内面的なところ。村田さんには2日間ぴったりくっついていろいろやらせてもらったんだけど内容はもちろん今のワタシにとても必要なことだったし教えてもらえて手伝えて経験値UPさせてもらえました。ゲームでいうとひとりでは挑戦できないモンスターに強い先輩に連れてってもらって経験値たくさんもらった感じ。ジブチで調理学校の先生や生徒たちと料理をしているとなかなかモチベーションの維持は難しいし、応募要項にはたくさんの強い思いを書いたけど忘れそうになります。けど今回、ちょっとしたことから、真剣なこともいろんな話を村田さんとして(村田さんにとってはただの雑談だったかもだけど今のワタシにはしっかり覚えていたい話ばかり)強い気持ちを持って仕事をしている人はかっこいいし尊敬するし影響力があるな。と思いました。ワタシもこんな風になりたいな。と。ワタシのことをよく知ってる人からすると、ワタシがこんなこといったり、自分の思いを綴ったりって珍しいなって思われてるかもだけど、ジブチで2年間協力隊としての活動を続けていくにはモチベーションとか情熱みたいな内面的なものが重要なのかなと思ったんですよ技術とか知識よりも。ちょうど手伝いにいく前の週にちょっとうーんと思う出来事があったのもあり、モチベーション下がりまくってたワタシには村田さんの思いが内面的なものに直結したのかな。というか、うまくはまとまらないです。とりあえずいい影響を受けたので自分が忘れないように。これからはワタシがジブチ人料理人たちにいい影響を与えられるように。村田さんにはこれからもお世話になろうと思っているのでいろんなことを盗んでこようと思ってます。
存分に長くなったところで最後に。
みなさんに共通してるのが、与えてもらったはずのワタシが逆にお礼をいわれてしまっていて、キャシーさんには「どんな世界か想像もつかないアフリカでわたしの焼き菓子に何か役割を持たせてくれてありがとう」と村田さんからは「お互い切磋琢磨しよう、感謝mille fois」と、いやここを抜粋しなくてもよかったんだけど。2人ともかっこいいな~~~と思ったわけです。これが折り重なって支えられてる、ということなのかな。
自分の想いを書くのは難しい。いつもより断然時間がかかってしまいましたが、今回はここまで。
A bientôt
22/02/2020
ジブチについて②
Bonjour!!
意外とこまめに更新しているJIMAちゃんです。
今日はジブチの主食はこんな感じというのをまとめてみます。
ちなみに今日はお休み。朝からパンを捏ねているので今は発酵待ち。
そんなパンについて。
もともとフランスの領土だったジブチ共和国の主食はフランスパンです。
首都だと外国人向けスーパーには食パンやデニッシュパンなども売ってるのでぜんっぜん不自由なくなんでも食べれますが、地方はフランスパンのみ!ローカルレストランに行くと米もありますが、米にもフランスパンがついてきます。とりあえずレストランで席に座るとゲロ甘チャイとフランスパンがうさぎとかめの中間くらいの速さででてきます。
普通に買えるフランスパンはこんな感じ
外国人向けスーパーのちゃんとしたフランスパンはお高め200DJF=120円
ジブチ人が日常食べてるフランスパンはふかふかでフランスパンとは言い難いけど、これはこれでおいしい。1つ30DJF=18円
こんな感じで袋にもいれず、手に持って帰ってきてます。いつも袋持っていくの忘れるんだよなあ。
boulangerieパン屋さんが街には絶対にある。って言っても日本のようなおしゃんな奴じゃなくて、フランスパンだけを作ってて、フランスパンだけを売ってるところ。アルタではフランスパン以外のデニッシュだったりが売ってるところもあるけど、そこはpatisserieケーキ屋さん扱いね。でも日本みたいなお菓子は売ってない。菓子パンが売ってる。
ディキルは2,3件あると聞いたけど、アルタは1件。そこで街中みんなの主食を作ってくれてるよ。もう顔見知りになったので次は強力粉を分けてもらおうと思ってます(もちろんお金は払うよ)
焼き上がり時間ってのがあって、その時間以外あいてないし買えないのが難点かなあ。
アルタのパン屋さんは6時、12時、17時の様子。多分。
このブログ書きながら外観の写真ほしいなと思って、ひとっ走り撮ってきました。そしたら厚かましく中の写真まで撮らせてもらってきたよ。写真規制、首都は厳しいけど地方は緩いです。
知り合いのジブチ人のお家に朝ご飯招待してもらったけどこのフランスパン。学校でも調理実習が始まる前に先生たちが朝ご飯タイムするんだけど、そこでもこのフランスパン。
野菜をトマトソースで炒めたものをはさんだり、スパイスをまぜたスクランブルエッグをはさんだり、ゲロ甘チャイにつけたり。
ジブチの主食のフランスパン。日本じゃ食べれないので、逆に日本に帰ったときはワタシが作りたいと思ってます。
さてさて、ワタシが作ったパンも焼けたようなので。
A bientôt.
2020/02/08
小説風記録①プロローグ
プロローグ
青年海外協力隊の合格の知らせを受け取って早一年、今はもうジブチ共和国の自分の任地アルタで料理隊員としての活動が始まっていると思うと一年というのは早い。そして新しいことが始まった一年というのは自分の人生の中で印象的な思い出になるのであろう。協力隊に合格してからは予想以上にばたばたとした生活を送っていた。現地派遣の前に日本である70日間の派遣前訓練は充実して面白く儚かった。192人のちに開発途上国35ヶ国に散らばる協力隊候補生が共同生活をするのだ。全力で勉強してご飯を食べ、一緒にお風呂に入り壁一枚向こう側に仲間が寝てて、時にはお酒とともに羽目を外してみたり。社会人経験を何年か積んだ後のこの訓練。大人になってからの勉強も楽しいし、様々な年齢、職種、経験を持った人が集まる。特に開発途上国に二年間行ってやる、って人はそんじょそこらの人より面白くて何より気が合う。多分私もそっち側だったのかなと今となっては思う。2019年11月20日そんな仲間たちともお別れして、つかの間10日間ほどの地元での準備期間をはさみ2019年12月2日、この日に出発する隊員が一番多く、また早めの出発でもありたくさんの仲間たちとともに見送られながら出発した。成田国際空港を21時ごろに出発したエチオピア航空ET673、日本を出発した時はそこまで満席じゃなく、仁川国際空港にていったん給油、たくさんの人が乗ってきていっきに燃料もお客さんも満タン、そしたらノンストップでアディスアベバ国際空港に到着だ。ここでついに2019年2次隊のエチオピア隊、マダガスカル隊、モザンビーク隊ともお別れであとはジブチへの到着を待つのみとなる。
自宅を出発してから約30時間の大移動はとても小さなジブチ国際空港で終わりを告げる。日本は12月冬序盤で長袖必須の環境から、世界一暑い国ジブチ共和国へ。小さなジブチ国際空港では飛行機からそのまま地上に出て歩いてイミグレーションのある建物へ移動する。このスタイルは一気にジブチの暑さを体感できる。ジブチも今は何といっても冬だ。文章を読むだけだと冬なら涼しいのかと思うだろうが、冬だが暑い。汗が噴き出す。首都のジブチは海に囲まれた街なのでじめじめと暑い。イミグレーションもクーラーなどは入っておらず待ち時間がとても暑い。そしてなかなか進まない列。イミグレーションのカウンターも分類分けされているようで、自分が当てはまっているであろう列に並んでいたにも関わらず、列はばらばらにされた。どこに並んでも変わらないようだ。ジブチの適当さを少し実感し始める。そして派遣前訓練で初めて習ったフランス語を使う時が来た。VISAを見せ顔写真を撮られる、ジブチ滞在時の住所や何をするのか。そんな質問が終われば無事入国だ。2019年2次隊のジブチ隊員は私をいれて2人。相方はフランス語堪能なお姉さまだ。助けてもらいつつ先に入国できたので待っているとそこら辺の人から話しかけられる、さっそく結婚しているのかと聞かれたのを覚えている。荷物カウンターは薄暗く、荷物を運んでくれようとする現地人が私たちの荷物を守ってくれていた。しかし事前情報でこの人たちにお願いすると、後からお金を請求されると聞いていたのでNon merciで回避。意味があるのかわからないような荷物検査の機械を通してこれまたとても小さく売店ひとつもない到着フロアを抜けるとやっとジブチ共和国だ。
ジブチ共和国ときいて思い浮かぶのはなんだろうか。全く何も知らない人からは「なんかジブリみたいで可愛いね」と言われたり、自衛隊の拠点という点を知っている人がいたり、ジブチ共和国に派遣が決まってからいろんな人の反応を見ることができた。共通して言われるのは遠いとこ行ったなぁ。と。
到着出口から出ると、ボランティア調整員さんと現地スタッフの方が迎えてくれた。飛行機は遅れ、入国手続きに手間取っていたので随分お待たせして申し訳ないなあ、と思っていたがジブチに入れば日常茶飯事。みなさん慣れっこである。調整員さんに荷物はこれだけ?と驚かれながらもいそいそと少ない荷物を車に運び入れ汗をかきながら、いざJICA Djibouti事務所へ出発。
ジブチ共和国は四国ほどの小さな国、空港からJICA事務所までも海沿いのシエスタ通りを走り抜けて20分ほどで到着だ。最初の一週間はこれからの生活の手続きやミーティングで終わり。そして始まるのは現地で受ける一か月間の語学訓練だ。JICA事務所から語学訓練のある幼稚園まではバスで1時間程度。その行き方を教えてもらうために先輩隊員とのちょっとした遠征もある。語学訓練、ジブチ人の家庭にホームステイ、自分で2泊3日の日程を組んで旅に出るフィールドトリップ。ジブチへの理解が深まるアクション盛りだくさんのはじめの1か月半。
私はジブチの首都隊員ではなく、山の上の街アルタというところの地方隊員である。なので首都でしっかり生活するのは配属先赴任までのこの期間が最初で最後。アフリカきっとどの国も首都と地方の差は著しい。ジブチは元フランス領の国、またいろいろな国の軍隊の駐在地となっている国なので予想以上にたくさんの国の人とすれ違う。ジブチで一番大きなショッピングモールに行くと外国人だらけジブチ人はほぼいません。あれはイタリア軍、こっちは中国人商人、あそこには自衛隊の○○さん、などなど。スーパーにはフランスの食材や雑貨がそろっていて日本ではお高いフランスブランドのあんなものやこんなものがちゃっかりいい価格で売っている。もちろんジブチ人は買わないし、地方には日本人がイメージするスーパーは全くない。
そんなこんなでジブチでの実地訓練は最後のフィールドトリップを残すのみとなった。フィールドトリップとは自分の力だけで2つの地方をローカルなバスを使って旅行するというアクティビティである。私は先輩地方隊員の生活と活動をのぞくため2人の協力隊が住んでいるディキルと自分がこれから住んでいくアルタを選択してホテルの予約や長距離バスの情報収集を始めた。
わくわくどきどき、新しい発見が大好きな私は浮足立っている。
2020/02/05
ジブチWiki
Wikiより現地生活よりのまとめ作りました。
現地で生活してない人にはいらん情報多数です。
(日)ジブチ共和国
(仏)République de Djibouti
国旗:意味は空と大地と平和
政体:共和制(2代目大統領は通称I.O.G)
独立40年で大統領2代目って、みなさんどう思いますか。次の選挙は2021年4月予定。ゲレさん当選確実の選挙です。再選回数の制限撤回も最近なされて、と同時に年齢制限も変わりました。ジブチの現状とこの政治体制。思うことは多々ありますが、まだ何ともいえません。みなさんはどう思いますか。
首都:ジブチ市(珍しく国と首都が同じ)
面積:23,000km(四国の1.3倍)
人口:90万人(人口の8割が首都在住)
協力隊の派遣前訓練のフランス語ホームクラスの週1であるミニテストで、アフリカの地図が出てきてフランス語圏の国に丸をつけるというフランス語関係ありよりのなし問題が出た時のみんなの一言。「ジブチどこ?」
公用語:フランス語、アラビア語
現地語:ソマリ語、アッファール語
英語はほぼ通じません。小学校から授業はフランス語です。なので若い人は大体話せますが、あまり使わない単語だったり、熟語などは理解してもらえません。訛りは強いです。けど私は尊敬してます。いつも私はこう言います。ジブチ人はすごい、だって4つの言語が話せる。Djiboutian est super.donc peut parler quatre langues.もちろん本心です、お世辞じゃないよ。
民族:ソマリ系イッサ(60%)エチオピア系アッファール(35%)イエメン系アラブ人
首都ジブチを中心に東はソマリ優勢。ディキルを中心に西はアッファール優勢。
ジブチの商店はアラブが多いです。私のよくいく香水屋さんもアラブ人がやっていてフランス語は通じません。
通貨:DJFジブチフラン
$1=177DJF固定レート、100DJF=60D円。日本円にするには0.6掛けです。
10000、5000、2000、1000の紙幣と500、250、100、50、20、10、5の貨幣。5コインは地方でしか見れません。お札はなんだかスパイシーな香りがします。やぶれてもテープでくっつけたりホチキスでとめたら使えます。
ラマダンあります。まだ経験してないけど。今年2020年は4月21日からという情報をゲットしています。アザーンもなってます。アッラ~~ァ~ァ~ァ~ アクバルッ!って感じ。
気候:熱帯乾燥気候帯(地球上で最も暑い土地のひとつ)
観測史上最高気温は71.5℃。でもこれには理由があります。暑さについて詳しく書くときタネあかししますね。
時差:日本から−6時間
北からモスクワ、バグダッド、イエメン、エチオピア、マダガスカルなんかが同じです。
休日:金曜日、土曜日、各祝日
金曜日はお祈りの日。イスラム圏は大体、金土休みみたい。
電話:+253
電圧・プラグ:220V、プラグCタイプ
実は現地で買おうと日本を出発する当日の朝まで買ってなかったJIMAちゃんでしたが。ボランティア調整員さんの神のメールがギリギリ出発前日の夜届き、いま無事充電してます。
ネット環境:ジブチテレコム
1社しかないので通信費高い。WI-FI契約年間100000DJF=60000円、チャージ式のデータ通信月間3500DJF=2100円な感じ。私のスマホが悪いのかまだ“4G”の文字は見えてません。もう1社くらいできて競合してくんないかな~起業家のどなたか、ジブチチャンスですよ。
地域:ジブチ市、ディキル州、アリ・サビエ州、ダジュラ州、アルタ州、オボック州(2019年人口順)
(協力隊は2020/02現在 ジブチ11人、ディキル2人、アルタ1人)
首都のジブチが不動の最大勢力。協力隊同じくです。ジブチ市内にも各国大使館やJICA事務所などがある外国人地区ヘロンやジブチ人が住んでる最大地区バルバラなど、狭い土地にぎゅっとなってます。わたくしJIMAちゃんは7年ぶり2人目のアルタ隊員。レアケースです。けどアルタはジブチの軽井沢と言われていて(日本人コミュニティの中でね)ボランティア調整員さんも任地がアルタなのはうらやましい。って言われました。ほんとに小さい町だけど標高が高くて涼しく空気もきれい。晴れの日には対岸のタジュラまで見えます。
独立:1977年6月27日フランスから独立
独立から40年強。それからエリトリア国境付近の紛争はあったけど、内戦などは全くありません。
輸入はフランスが20%、アラブ首長国連邦18%、サウジアラビア、中国など。そりゃ物価が高いわけだ。生鮮食品などは日本より断然高いです、、、。JICA規定の現地生活費支給額も発展してないわりに高いのはこれが理由。電気代は地区によって差がありますが、高級住宅街はゲロ高いらしいです。
物価:高い。この一言に尽きる。
輸出入の項目から引き続き。外国人向けスーパーに大体はなんでもありますが、高いです。日用品なんかは日本より断然高い。100均ってすごいって何度思ったか。私は現地のほうが安いだろうし荷物少な目で来たんですが、後悔しかないです。逆に高ぉついたわ。びっくりしたのが野菜とフルーツの高さ。アフリカだったらどこも無限にあると思っていたであろう。グリーンレタス(そこまでよくない)1つ1000DJF=600円。もやし(ほとんど売ってない)1kg、、、忘れました。めっちゃ高い、って思ったことは覚えてる。けど、もやし1kgも買わんわな。
食料自給率:3%(本当にすべて輸入。この3%飲料水とコーラとみた)
コカ・コーラの工場はジブチ市内にあります。飲料水は地方で作られていて、アルタ産、ディキル産、タジュラ産などなど。だからかはわかんないけどジブチ人の午後はカット噛みながらコーラ飲んでる。仕事はしてない。
酒類:基本は売っていない。外国人向けスーパーのみ。
ジブチ人はムスリムが大半なので売ってはないし公には飲めないけど、実は飲んでます。なんのお酒が好き?って聞いたら「ウイスキーセボン」って言ってた。
タバコ・合法麻薬:タバコは安い。1箱150~250DJF。マルボロ・ロワイヤルのみ。
カットと呼ばれる葉っぱ。とても高い。
カットはジブチ人男性の半数以上がやっていて、井戸端会議というか、コミュニケーションの一種になっているから一概にダメとはいえないけど、午後から噛みだすとぼーっとしたり、気分が高揚したり。バスの運転手さんとかも噛むからちょっと怖い。
隣国:エチオピア、ソマリア、エリトリア、紅海を挟んでイエメン
治安があまり安定していない国に囲まれているのに治安は良好。0時付近に外を歩いてても問題ありません。(こんなこと発信したら怒られるかな、、)
観光:アッサル湖、アベ湖、ジンベイザメとダイビング
アッサル湖は地球上で塩分濃度の高い塩湖(34.8%)死海よりも濃いです。海面下153mにあるアッサル湖はアフリカ大陸の最低標高地点。塩分濃度の高さとジブチの気温の高さが相まってできた自然結晶してできたお塩は有名。日本でも買えるよ。
特徴:たくさんの先進国の駐在軍あり。世界遺産なし。猿の惑星のロケ地。
猿の惑星のロケーションって荒廃した地球だよね?というと言いたいことは、なにもないってこと。
でも、アフリカの角。貿易地点として重要な土地であるから先進国からの恩恵を享受しまくってる、もらうことに慣れている印象。私的にはアフリカの香港を目指せる貿易国だと思ってるけどインシャアッラー(ムスリムよく使う。神のみぞ知る。)
新情報あればどんどん足していく予定です。
ジブチについて①
はじめまして。JICAの制度である青年海外協力隊として、最近話題のジブチ共和国に派遣されているJIMAです。
協力隊にはいろいろな職種がありますが、私は料理隊員としてジブチ共和国のアルタ市にあるホテル業高校に配属されております。
2019年12月から派遣開始され、首都での語学訓練やホームステイなどのアクティビティも終わり、2020年1月下旬に任地にて活動を開始しました。
おいおいアクティビティのことだったり、日本である派遣前訓練のこと、なぜ協力隊を受けようと思ったのかなども書いていこうと思っています、が。まずはジブチ共和国について。
ジブチ共和国
最近日本政府が新たに中東対策として自衛隊の派遣が決定され、ジブチの自衛隊基地も増員されるみたいですね。そこで気になって日本語で「ジブチ共和国」と調べても画像は砂と岩と軍隊のみ、行った人のブログもなかなかでてきません。私もジブチ共和国に派遣が決定したとき散々検索しましたが、有力な情報はほぼGETできませんでした。(これはジブチ隊員みんな言ってます)
なぜなら、ジブチにいて普通に生活している日本人は30人前後。大使館、JICA関係者100%です。みんな知り合いです、はい。普通に生活というのはジブチ人と同じバスに乗り、同じような家に住んでいる。生活環境が現地人と同じという意味です。
自衛隊をはじめ、政府の無償協力できていたりする日本人の方は、それぞれ独自のキャンプがあり、現地人とはまったく違った生活をしています。(キャンプ独立の浄水設備があったり、食事の材料調達手段が違ったりですね)ただ、そちらも規則などが厳しい様子で、一概にどちらが、、とは言えません。
文字だけではイメージもつかないと思うので画像をぼちぼち。
しかしながらジブチ共和国、街中で写真を撮っていると、警察官をはじめそこらへんにいる人達から怒られます。その話もおいおいしていきます。
ジブチ国際空港の飛行機から降りてすぐのこの場面。
国際空港とは思えないセキュリティと建物。スーツケースを通す機械からは猫がでてきます。
首都ジブチの中心のプラスランボー。ジブチ市内の中心で一番にぎわっているところはここです。アフリカでも首都は結構発展してることが多いみたいですがジブチの首都の中心地はこんな感じ。(指が、、、)
そんなジブチ共和国について、、、これから2年間あるので私の活動やジブチ隊員の日常、などなど。たくさんの方に知ってもらいたいと思いブログをはじめました。
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02/février/2020